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Step 11: 反対


「ネクストステップ」は私たちがクリスチャンとして神様の「使命」そして、神様の「聖書」という2つの分野において成長するために作られました。

←使命→ この世という「外」に目を向け、私たちの生活という「内」に目を向けましょう。 


←ミッション・トレーニング 詩篇67:3~4 「神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。」 

(「民」や「国民」といく言葉は、世界中のすべての民族のグループのことを指しています。)

伝道の最終的なゴールは賛美、つまり、多くの人が、生涯、唯一真の神の礼拝者になることです。神様は人を賛美者として作られたので、人は神様のために賛美に溢れて生きている時、一番幸せであり、満ち足りています。だからこそ、福音伝道のゴールは、すべての人々の喜びということも出来ます。

すべての人にとっての最高の幸せは、イエス・キリストによる、神との愛にあふれた関係の中にのみ、見つけることが出来ます。お金、家族、成功、経歴、セックス、エンターテイメント…これらのものは、誰にも長く続く幸せを提供しません。沢山の人が、自分自身では気づいていないにもかかわらず、心では神様を必要としています。なので、あなたが誰かに出来る最も素晴らしい愛の行動は、彼らにイエス・キリストを紹介することです。周りの人の究極の喜びを求めることによって、隣人を愛しましょう。


→アカウンタビリティー前回私たちは自分自身の証を、祈りリストの中にある1人以上の人に分かち合うという目標を設定しました。その目標は達成できましたか?達成できたどんな小さなことでも祝い、わたしたちの周りにいる人々にキリストの愛と福音を伝え続ける努力ができるように励まし合いましょう。


←目標と祈りあなたの祈りリストを見て、少なくとも一人以上選んでみましょう。次の2週間の間、あなたはどのように彼らにキリストのことを分かち合いますか?(例:証を伝える、福音を伝える、教会に誘う、ファーストステップを一緒に勉強する等)あなたが選んだ人の名前と設定した目標をグループ内で共有しましょう。それらの目標のために、そしてその目標を達成できるようにお互い祈り合いましょう。


↑聖書↓ 神のみ言葉を見上げて(上)、私たちの生活に目を向け(下)ましょう。 


↑神様の御言葉の周りに集まること
:Step 11:反対

クリスチャンの生活は戦いです。聖書は「神様のために戦い続けなさい」(第1テモテ6:12)と言っています。私たちが神の言葉に従い、他者を愛し、暗闇での光のように輝き、他の人々に福音をつたえ、反対に直面しながら神様を愛することに励んでいます。

1. 身体的な反対:マタイ 10:16-39

マタイ 10:16-25「[16] いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。[17] 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。[18] また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。[19] 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。[20] というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。[21] 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。[22] また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。[23] 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。[24] 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。[25] 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。 」
・16節 私たちはどんな種類の反対に遭ったとしても、放棄することのできない使命に遣わされています。
・21-22節 今日、世界のいくつかの場所ではクリスチャンはこの箇所で言われたような、あるいはさらに酷い迫害にあっています。周りの人に嫌われたり、コミュニティ(家族、社会のグループ、社会など)から拒否されることは苦しい迫害のひとつです。
・22節 迫害の形には関係なく、私たちは救いのために人生の終わりまでイエスに忠実かつ深い信仰を持っていなくてはなりません。
・24-25節 私たちの先生、師であるイエスは人々に嫌われ、家族に捨てられ、残酷なやり方で殺されました。私たちイエスのしもべが同じように迫害されることは当たり前ではありませんが、迫害を通してイエスと同じように見られることは喜ばしく光栄なことです。

マタイ 10:26-33「[26] だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。[27] わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。[28] からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。[29] 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。[30] また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。[31] だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。[32] ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。[33] しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。 」
・26-28節 死は最悪の結果ではありません;地獄で滅ぼされることのほうがさらに悪い結果です。クリスチャンは死を恐れてはいけません。なぜなら天国で神様との永遠のいのちの希望があるからです。なので私たちは人が私たちに何ができるのかを恐れるのではなく、神様を畏れ、どんな結果があろうと従わなくてはなりません。
・29-31節 私たち一人一人が価値ある存在で神様に愛されています。神様は試練を知らないわけではなく、私たちの益のために働き、確かに私たちを導き守って下さいます。
・32−33節 イエス・キリストに従っているということを決して恥じないで下さい。

マタイ 10:34-39「[34] わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。[35] なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。[36] さらに、家族の者がその人の敵となります。[37] わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。[38] 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。[39] 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
・34-36節 あなたの家族がクリスチャンでないなら、イエスへの信仰と忠誠が家族との関係をややこしくするかも知れません。このタイプの反対は直面するかも知れない一番難しい問題となり得ます。しかしクリスチャンとして愛すること他者への赦しを可能にしたクリスチャンになる前より、聖霊によって良い家族の一員となる力が与えられます。
・37-39節 肝心な点は、私たちの根本的な忠誠はイエスになくてはならないということです。私たちはイエスを1番に愛しているべきであり、イエスのために家族や自分たちの人生まで全てを諦める準備ができていなければなりません。この完全な自己否定を通して私たちは真の人生を見つけるのです。
ディスカッション:イエスのためにどんな方法で身体的な対立を経験しましたか?

2. 霊的な反対:エペソ 6:10-20

エペソ 6:10-12「[10] 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。[11] 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。[12] 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」
・11節 聖書は霊の領域や、神と神の民の敵、つまり、悪魔と汚れた霊が存在すると教えています。
・悪魔は非難者であり、誘惑者でもあります。悪魔は盗み、殺し、そして神様にある喜びと信仰を破壊します。(ヨハネ10:10)。悪魔私たちを罪へと誘惑し(神様に従わないように)、私たちを非難する(あなたは赦されざるものだ、価値のないものだ、邪悪なものだ、など)ことによってこのことを行います。
・12節 クリスチャンではない人—迫害者でさえ私たちの敵ではありません。悪魔が敵なのです。

エペソ 6:13-17「[13] ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。[14] では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、[15] 足には平和の福音の備えをはきなさい。[16] これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。[17] 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」
・クリスチャンの人生の戦いで私たちは戦い、しっかりと立っていなくてはなりません。第一ペテロ 5:8-9 [8] 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。[9] 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです
・戦いは霊的です。それによって戦いの戦術と守備の戦略は霊的あるべきなのです。誘惑されるとき、私たちは信仰によってその誘惑を撃退しなくてはなりません。私たちが罪を犯し非難されたと感じ、自分自身に福音を説教し、神の真実、正義、恵みによる救いを思いださなくてはなりません。ローマ 8:33-34 [33] 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。[34] 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
・私たちは唯一の攻撃的な武器で敵と戦います—神様のことばである、聖書です。

エペソ 6:18-20「[18] すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。[19] また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。[20] 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」
・パウロはエペソ人の信者たちに何のために祈って欲しいと言いましたか?
私たちは人生の終わりが来た時に、堅く立ってパウロと一緒に以下の言葉を宣言することができますように。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(第一テモテへの手紙4:7)

ディスカッション:10年後や20年後、あなたが80代や90代になったらどんなクリスチャンでありたいですか?

ステップを踏もう!イエスのことについて大胆になろう!


↓交わりこの2週間、元気に過ごしましたか?この2週間の間に特別なことが何かありましたか?心の中に抱えている悩みがありますか?なにか祈ってほしいことがありますか?