どんでもない失敗:放蕩息子 from Mustard Seed Osaka on Vimeo.


スモールグループの勉強:

ルカ15:1-22 & 9~10 & 22~32 を読みましょう(もし日曜の説教を聞いていなければ15章全体を読みましょう)  

[1] さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。[2] すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 … [9] 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。[10] あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 … [22] ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。[23] そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。[24] この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。[25] ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、[26] しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、[27] しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』[28] すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。[29] しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。[30] それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』[31] 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。[32] だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」  
イエスは私達が神様のような心を持つ必要があると教えました。その心とは罪人が悔い改めと喜びに至ることを待ち望む心です。
(ルカ 15:25-32) なぜ兄は怒っていたと思いますか?    
今までに兄のような立場になったことがありますか? 

もし兄がお父さんのようであれば、この話はどのように変わっていたと思いますか? 

マタイ 9:36-38を読みましょう。  [36] また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。[37] そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。[38] だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」  

イエスの群衆に対する反応はどのようなものでしたか? 

彼の父の心を持っているイエスは、失われた人たちを導くために喜んでなんでもしたいと思っていました。イエスは彼自身の時間、活力、そして彼自身の命でさえ犠牲にしました。あなたはどうですか? 

さらに多くの人が救われるために、教会は成長し、多くのことが変わります。あなたはこれらの変化をどう感じていますか?率直に告白してみましょう。 

あなたは失われた人々が見つかるために、喜んで不都合な状況になってもいいと思っていますか? 

もっと神様のような心を持つために、あなたはどの部分(行動、姿勢、優先順位のような)を一番変えていく必要がありますか?