どんでも失敗: サウロ from Mustard Seed Osaka on Vimeo.

スモールグループの勉強:
第一テモテへの手紙1:12-16を読む。「
[12] 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。[13] 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。[14] 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。[15] 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。[16] しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

パウロに示された神様の恵みは、神様の恵み自体を(1)私達自身と(2)周りの人へ当てはめるように教えています。

1.神様の恵みを自分自身に当てはめる

ローマ人への手紙8:33-34を読む。「[33] 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。[34] 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」    

あなたが罪を犯す時、悪魔の非難の声(「あなたは壊れている」「神様はあなたを赦さない」「恥を知れ」)か、イエスの恵みの声(「あなたを愛してるよ。あなたを赦すよ。私は死んであなたの罪の負債を全部支払ったよ」)どちらが大きいですか?

第一ヨハネの手紙1:7-9を読む。「[7] しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。[8] もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。[9] もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

あなたは他のクリスチャンに罪を告白したことはありますか?結果はどうでしたか?

あなたは自分の罪を他のクリスチャンに告白するのをためらったことがありますか?なぜですか?

あなたが自分の罪を認める際、クリスチャン友達かノンクリスチャンの友達のどちらが容易いですか?それはなぜですか?

2.神様の恵みを他の人に当てはめる

使徒の働き9:10-15を読む。「[10] さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。[11] すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。[12] 彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」[13] しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。[14] 彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」[15] しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」

あなたは誰に対して、彼らが変わることを信じることが出来なかったという理由で福音を伝えることをためらってきましたか?

その人はあなたの日々の祈りリストに入っていますか?

パウロのストーリーは、神様がどんな罪でもどんな人でも変えることが出来るということを思い出させてくれます。この事実はあなたのノンクリスチャンの家族や友達、同僚に対する接し方にどのような影響を与えますか?