スモールグループのレッスン:
ヤコブ1章19〜21節  
 「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」    

質問:最後に怒ったのはいつですか?どのようなことが起きましたか?  

私たちは怒るときに、深いところにプライドや偶像礼拝などという根源の罪がよくあります。例えば、もし誰かがプライドが高くて、そのプライドに攻めることがあったら、その人は怒るかもしれません。もしお金の偶像を持つ人がいれば、それでお金がかかってしますことが起きたら、その人は怒るかもしれません。  

質問:前に分かち合ってくれた例に、それとも別の例には、どの根源の罪があったと思いますか?  

ペテロの手紙第一2章21〜23節   
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」    

質問:イエスは嘘で問われたり、いじめられたり、なぐられたりしたときに、なぜ怒らなかったのでしょうか?  

(あとで、怒りについての聖句を読んでみてください:マタイによる福音書5章21〜26節、6章14〜15節、エペソ人への手紙4章26〜27節)  

ヤコブ1章22〜25節  
 「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。」   
 
質問:どのような方法で神様のみことばを携わることができますか?(例:日々聖書を読むこと)  

質問:みことばをただ聞くことだけで、実行しないことは、なぜ欺くことになると思いますか?  

質問:最近みことばから学んだことを実行したのはなんですか?  

みことばを聞いたり、読んだり、知ったりすることだけになってはなりません。実際に従わなければなりません。神様のみことばに従うことは、スモールグループの大事な目標です。みことばをどのように知ることはそれですが、どれくらい従うことによって私たちのクリスチャンとしての成長を現すものです。  

質問:何を実行しはじめるべきですか?